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札幌高等裁判所函館支部 昭和24年(を)238号 判決

被告人

伊藤義武

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年六月に処する。

原審において国選弁護人に支給した訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人溝口久太の控訴趣意書の補充訂正書の二中「被害者小竹貞吉の負傷が被告人の所為によることが明らかでないばかりか、被告人には暴行傷害の故意がなかつた」との点について判断する。

(イ)  原判決はその罪となるべき事実の第九において、「被告人は昭和二十四年十月十五日午前二時頃右小竹祚一方店舗陳列棚より同人所有の煙草を抜取り窃取しようとした際、同家内で張込中の同人に発見組付かれ、その逮捕を免れんがため同人と格鬪中、加勢に赴ける右祚一の父貞吉(当六十三年)をその下敷となさしめ、因て同人に対し右膝蓋関節部に全治約二月を要るす捻挫傷を与えた」と判示し、もつて被告人に強盜傷人の責任を認めたのであるが、右の場合被告人に傷人の責任を問うためには、ただ被告人が逮捕を免れるため祚一に対し暴行をなしている機会に貞吉に負傷させたというだけでは十分でなく、被告人の暴行の貞吉の負傷の原因と見ることが相当であること及び打撃の錯誤が存する場合を除いては、被告人が貞吉に対する暴行の意思を有し、かつ同人に暴行をなした事実がなければならない。

そこで原判決が右事実認定のため掲げている証拠は一、被告人の原審公判廷における傷害の部位程度の点を除くその余の供述、一、第二回公判調書中証人小竹祚一の供述記載、一、検察事務官の被告人に対する第一回供述調書第八項、一、医師経田吉郎作成の小竹貞吉に対する診断書、であつて、これを調べると原審第一回公判調書中の被告人の供述記載は、「小竹貞吉に捕つて夢中であつたため同人を突き飛ばしたかどうか判りません」とあり、原審第二回公判調書中の証人小竹祚一の供述記載は、「十五日の午前二時頃になつて私が予想した通りの個所から泥棒が入つて……中略……三間位奥の方にある煙草の入つているケースに手をかけたので私は後から誰何しました、すると泥棒は一瞬棒立ちになつたので私は直ぐ捕まえようとしたらそこで格鬪になり私は泥棒を土間に投げつけました……中略……そうしているとき父が居間から出てきて泥棒の後から泥棒の腕をつかもうとしたら私と泥棒が取組合つて倒れたため父が私と泥棒の下になつて怪我をしたのであります」とあり、検察事務官の被告人に対する第一回供述調書第八項にはその末尾に「私は夢中で逃げようと格鬪したので何をやつたかそのことはわかりません」と記載してあつて、被告人が貞吉に対して暴行の意思を有し、かつ同人に暴行をなしたことを確認し難いのであるが、さらに原審において取り調べた本件記録中の司法警察員の面前における被告人の供述を録取した第一回供述調書中には、同人の供述として、「誰か大きな声でどなりましたので私はびつくりして逃げようとしましたところ、その人は棒をもつて私の頭をなぐりましたので私は逃げようとして無我夢中で取組合を始めたのです。その時女の人の声であまりなぐるんでないといつていることはおぼいておりましたが後は何も判らなかつたのです、私は夢中でどんなことをした全くおぼいがないのです……中略……その家の爺さんが私に突きとばされて怪我したことも何も知りません」との記載があり、当審における受命判事の証人小竹貞吉に対する尋問調書中には同人の供述として「祚」と泥棒とが騒いだので、私が起きると、二人とも取組んでいたので、逃がしては大変だと思い無我夢中でかかつていきました泥棒は内側におり祚一は外側にいたので泥棒の後から襟首をつかんで自分の方に引倒そうと思い自分としては強く引張つたのですが、丁度その時祚一が押したのと一緒になり、泥棒が向側から押されて倒れかかつてきたとてろを私が引いたため、倒れて私が一番下敷になり、その上に二人が倒れてきて、私はそのまま起きれなくなりました、私が加勢に行つたことを泥棒が気付いたかどうか判りません、泥棒は私を押えつけるような格好で倒れたのでありません」との趣旨の記載があるので(右各証拠により原審第一回公判調書中の被告人の前記供述記載中小竹貞吉に捕まつてとあるのは小竹祚一に捕つての誤りであり、同人を突き飛ばしたがとあるのは貞吉を突き飛ばしたとの誤りであることが判る)。そこで以上の各証拠を綜合して考えると、被告人は逮捕を免れるため祚一と取組みあつているとき、貞吉が被告人を後方から襟首をつかんで引張つたところ、たまたまその時被告人は祚一に前方から押されて後方に倒れかけようとしていたため、祚一の押す力と貞吉の引く力とが相俟つて被告人を後方に倒し、貞吉が被告人と祚一両名の下敷きになつて負傷したことが認められるのであるから、貞吉が負傷した原因は、祚一が被告人から暴行を受けたことによる被告人に対する反撃と、貞吉が被告人を背後から引張つた行為とであると見なければならない。もつとも遠く因果関係をさかのぼれば、被告人の祚一に対する暴行が貞吉の負傷に無関係であるとはいえないが、右の場合祚一に対する暴行によつて貞吉に負傷の結果を生ずることは経験則上当然に予測しうることではないから、右暴行を右負傷の原因と見るのは相当でない。そればかりでなく被告人は貞吉が被告人の下敷きになる瞬前までその存在に気付かなかつたのであつて、同人に対し暴行をなしたことは勿論、同人に対する暴行の意思があつたことも認めることができないのである。右の通りであるから貞吉が原判示のように負傷したとしても、被告人に貞吉に対する強盜傷人の責任を負わせることはできない。

(ロ)  なお右各証拠により認められる事実から祚一に対する事後強盜罪が成立するのであるが、本件公訴事実中第九の訴因は、被告人は「更に同月十五日頃前記同所(小竹祚一方のこと)において同所に陳列しありたる同人(祚一のこと)所有にかかる煙草を窃取せんとしたるを小竹貞吉に発見され逮捕されたるに同人の逮捕を免れんとして同人を突き飛ばしよつて同人に対し膝関節部に治療二ケ月を要する傷害を与えた」というのであつて右は貞吉に対する強盜傷人を訴因となし、祚一に対する事後強盜の訴因を含んでいない(なお右訴因中の貞吉に発見され逮捕されたとの記載が祚一に発見され逮捕されたとの誤記でないかとの疑問も生じないではないが、右記載全体の趣旨と右「貞」の字ははじめ「祚」と記載されていたのを特に「貞」と訂正してあることに照し誤記とは認め難い)。しかして貞吉に対する強盜傷人と祚一に対する事後強盜とは、その訴因を異にするばかりでなく、訴因の基礎である犯罪事実それ自体も全く相異なる別個のものであるから、本件起訴にかかる訴因によつて直ちに祚一に対する事後強盜罪を認定できないばかりでもなく(従つて当審において祚一に対する事後強盜罪の認定ができない)。右起訴にかかる訴因を祚一に対する事後強盜罪の訴因に変更し、あるいは追加することもできない(故に原審に差し戻し原審において訴因を追加変更して祚一に対する事後強盜罪を認定する余地がない)。

以上の通りであるから、本件訴因に関してはただその中に包含される窃盜未遂の点について有罪の認定をなしうるのみであつて、貞吉に対する強盜傷人罪の成立を認めた原判決には事実の誤認があり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。従つてこの点に関する論旨は理由がある。

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